牛腸茂雄

 高校卒業後、写真の専門学校へ入学した。
 映画をやりたかったので、映画学科を専攻したが、写真科の人と仲良くなって、悪戯程度に暗室を使わせてもらったりしていた。中学の頃は写真部で、写真にはとても興味があった。
 当時、『deja-vu』という写真誌が出ていて、写真科の生徒たちの間では話題になっていた。ぼくも荒木経惟特集号を見せてもらったり、ヴィム・ヴェンダースの載った号を眺めたりした。
 二年生になった春、『deja-vu』は牛腸茂雄特集号を出した。
 例の、ダイアン・アーバスの写真を思わせるような双子を写した作品が目を引いた。
 ダイアン・アーバスの双子を見ると、すぐに『シャイニング』を思い出してしまい、少しげんなりしてしまうこともあったが、牛腸茂雄の写真は違うように思えた。
 子どもが丘を駆け下りてくる。ジャングルジムで遊んでいる。田んぼの畦にいる。巨人の帽子をかぶった子、顔にらくがきされた子もいる。花を抱えた少女もいた。
 そこはどこだろう。手が届きそうで届かない。どこの木陰か分からない。霧の中に走っていく子どもたちの写真があった。これらの写真が、いいものなのか、そうでないのか、正直、分からない部分もあった。しかし、眺めていると、不思議と親近感が湧いてきた。
牛腸茂雄の立っている「そこ」は、どこなのだろう。それほど遠いところのようにも思えなかった。今、学校で映像や写真を学んでいるぼくらと、どれほどの距離があるのだろうか。
 普段ぼくらは、それが「プロ」なのか「アマ」なのか、そういうことで物事を安易に捉えようとすることが多々あったが、牛腸茂雄は、プロとかアマとか、そういう感じがしなかった。それがいいのか悪いのか、分からない。だとしたら、「そこ」は一体どこなのだろう。学務室の備品である『deja-vu』を眺めながら、そんなことを考えていた。
  しかし、映画学科のぼくは、高価な『deja-vu』を買うことはなかったし、それ以上牛腸茂雄に関して興味を持つことはなかった。「牛腸」を「ごちょう」と読むことも知らず、「ぎゅうちょう」だと思っていた。

 学校を卒業して何年も経ったある日、友人から美術館の招待券をもらった。
 それは「牛腸茂雄展」のチケットだった。ぼくは忘れかけていた少し変わった名前を見て、懐かしいような気持ちになった。
 そのとき、初めて間近に牛腸茂雄の作品と向き合った。彼が何をしようとしていたのか、丁寧な創作をひとつひとつ見せてもらった。
 ぼくがあの頃感じていた親近感は、間違っていたのかも知れない。だけど、やはり懐かしいような親しみのなかで、牛腸茂雄に出会っていた。ぼくが彼の友人だったら、彼はぼくを写してくれただろうか。
 『SELF AND OTHERS』の中のセルフポートレイト、ひんやりする美術館の白い壁に掛かった、その一枚が忘れられない。

 もし会えるなら、会って話がしてみたいと思う人物が何人かいる。ぼくは、ニック・デカロと、佐藤泰志と、牛腸茂雄に会ってみたい。みんな同じような眼鏡を掛けている。

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