茂田井さんのパリ

 ここに来るのが長年の夢だった。
 パリの下町にある小さな広場、サン・フェルディナンド広場。
 1930年、この広場から伸びたデバルカデール通り沿いにあった日本人クラブの食堂で、茂田井武は皿洗いをしながら住んでいた。
 画集『ton paris』は、このサン・フェルディナンド広場周辺のことを、茂田井さんの心にとまった風景、人々を、一枚一枚丁寧に描いたものである。
 だから、ここに描かれているのはとても狭い範囲のことであり、この画集につけられたタイトル通り「私のパリ」なのだ。
 一日の仕事を終えたあと、絵を描くことだけが楽しみというように、異国で生活することの不安をなぐさめるように描いていたのかも知れない。

 茂田井さんが描いたカフェも、牛乳屋も、薬局も健在だった。日本人クラブのあった建物も、当時の姿をとどめている。
 ぼくは旅先の用心もあり、茂田井さんが描いた薬局で下痢止めを買った。

 茂田井武は、ぼくが絵を描き始めた頃に出会った画家。
 茂田井さんの画集『ton paris』と出会わなければ、こんなにまでしつこく絵を描いたりしなかったかも知れない。
 

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